太鼓やぐらを2重3重に取り巻き、太鼓の音色に合わせて物悲しい旋律が流れる。「手島ヨー、金之亟ヤーレー ノー」
1600年関ヶ原の戦いで敗れた岡山藩の金之亟という若武者が手島に亡命してきたことが踊りのが始まりと言われています。
何故か全員女装、菅笠、姉さまかむりに長じゅばん、赤い鼻緒が付いた草履に灯篭を背負い、うら盆の夜が更けていく・・・・この供養踊りは運動会や婦人会の催しでも踊られていたそうですが、現在この踊りが出来る方は宮本サト子さん(手島在住)ただ一人なっています。現在藤井高校の生徒さんも危機的状況の「金之亟踊り」保存に向けて頑張っています。
瀬戸内海歴史民俗資料館編「香川県の民事芸能-平成8・9年度香川県民俗芸能緊急調査報告書ー」抜粋 平成10年3/31発行
島民の皆さんの溌溂とした若い息吹が伝わってきます。どの島も活気に満ち溢れていたことがこれらの映像から伝わってきます。
元手島自治会長藤原當正氏所蔵写真
四国新聞平成6年3月掲載記事
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